2009年6月14日日曜日

三沢光晴

13日(土)、ノア社長でプロレスラーの三沢光晴さんが試合中に倒れ、病院へ搬送されましたがそのまま亡くなってしまいました。

三沢光晴さんは二代目タイガーマスクでデビュー。その後マスクを取り、本名の三沢光晴で人気レスラーに。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務し、46歳という年齢ながら今でもファンの多い選手でした。

小さい頃から僕と兄のヒーローでした。毎回やられそうになりますが、そこからの逆転劇は見ものでした。
もうあのエメラルドのロングタイツをプロレスのリングの上では見れません。朝にこのニュースを知ったときはショックでした。

小学校5年生のときに名取市の体育館で全日の試合が行われて、僕は見に行った記憶があります。三沢とジャイアント馬場さんは生で見れて本当に感激しました。物販のところへ行くとそこにはパイプイスに座った馬場さんが・・・僕はおっかないながらもグッズを購入、そしたら馬場さんがそのグッズにサインをしてくれました。正直、そのときは馬場さんにびびりましたが、サインをもらえたのは今でも 自慢です。
試合は一番前の選手が出入りする場所のところでした。選手入場のときにヒールの人は客でもお構いなしにひっぱたいてたので怖すぎでした。でも、試合はすごく迫力があって楽しかった記憶があります。
三沢の試合ではたくさんの紙テープが舞い、歓声が嵐のように降り注ぎました。試合も三沢のチームが勝利し、僕は大満足でした。

三沢という偉大なヒーローが亡くなってしまったことはとてもショックなことです。しかし、プロレスファンの記憶の中でずっと彼は生き続けるでしょう。僕は三沢の意思を継ぎエルボーもエメラルド・フロウジョンも後世に残していきたいと思います。

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